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自死する若者と誕生日を迎えた私

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1963年11月3日大分県別府市にて生まれた私は、本日 無事に55歳の誕生日を迎えることができました。

 

今生きているのが不思議に思えるくらい、何度も死に直面しました。

 

私の誕生日「11月3日」は、気象の世界で一年に数日ある「特異日」と呼ばれ、「晴天」になる確率の高い日なんです。55回の誕生日で、雨が降ったのは5回あるかなあ?と、思い出せないくらいなんです。秋晴れの良き日に生まれてきたんだと両親に感謝します。

 

誕生日を前にして、なんとも心苦しくなるお見送りをすることとなりました。

 

まだ32歳の彼は、自身の自家用車の中で「紐死」を選んだのです。

申し訳ないけれど死亡検案書には、「紐死」と書きなぐられていました。お医者様は雑な字を書く方多いのですが・・・

「どんなヒモ」で「どんなふうに」自身の命を絶ったのかわかりませんが、10日近く誰にも気付かれることなく・・・

ご遺体はかなり傷んでおり、DNA鑑定でしか自身を証明することができませんでした。

 

他県から来て、長崎県某市に一人住まいし仕事していた彼のアパートには「リ〇ビタン」の空き瓶がたくさんあり、その空き瓶が苦しかった胸の内を代弁しているように感じました。ゲーム機や、おしゃれなスニーカーも彼の普段の生活を私に語りかけるようでした。

 

とるものもとりあえず駆け付けたご両親は憔悴し、少しでも彼のことを連想させる言葉がでると泣き崩れるような様子でした。

 

私には、あの時の光景が思い出されました。

 

「テレビをつけてください!」

1987年8月12日の日航ジャンボ機の墜落事故。

レーダーから機影が消えてJL123便の搭乗者のご家族を、マスコミから隔離し別室にご案内して状況をお伝えすることになり、とにかく、ただ お茶を出す係に選ばれた私は、言われるままにテレビのスイッチを入れました。

流れる搭乗者名簿。ご自身のご家族の名前がテレビの画面に出ると、名に振りかまわず泣き叫ぶご家族を目の前にして、何もできない私、何の声もかけることができない私。

そのことが、よみがえってきたのでした。

 

でも今はできる。

あの時とはちがう。

 

泣き続ける彼の母親の背中をずっとさすった。

 

時は確実に過ぎていた。私も変わった。

 

帰ってくる予定だった家族が突然の出来事で「帰らぬ人となる」。

望んだわけでも、病気だったわけでも、余命宣告されていたわけでもないのに・・・。今日帰ったら「ただいま!」「おかえり!」「今日の夕ご飯はハンバーグよ!」なんてことない日常が突然なくなる。そんなこと全く予想していなかった。誰も考えていなかった。思いつかなかった。

今日が最後の別れだとわかっていれば、もっと優しくすればよかった。いろんなところに行けばよかった。たくさん写真とればよかった。楽しいことも悲しいことも分かち合いたかった。

 

「死」は時間を選ばない。

 

でもね、「自死」は、時間を選ぶ。

 

なぜそんなことをしたのか?

もっと話を聞いてあげればよかった。

優しくすればよかった。

あんなこといわなければよかった。

 

だけど、もう戻ってこないんだよ。

自分で自分の死ぬ時間を命の長さを決めたんだよ。

 

なんと悲しいことでしょう。

 

私も何度も「自死」を試みた。

手首には傷が今も残ってる。睡眠薬、抗うつ剤、向心剤、思いつく手に入る薬を手のひらいっぱい、いえいえ2杯100錠は裕に超える量。そんなに飲んでも死なない。また、救急車で運ばれ病院で目覚める。涙があふれる。

なんで死なないのか?こんなに死にたいのになぜ私は死なないのか?飲み方が悪い?飲み合わせが悪い?

もうそんなこと何度試みたのか思い出せないくらいだし、救急隊員から覚えられていたくらいだった。

 

人間なかなか死のうと思って死ねるものではないんです。本当に。

 

生きる力って、想像以上のものなんです。

 

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苦しんでいる人は、このことに気づかないし、私は引き留めようと思わない。

そうそう簡単に死ねるものじゃないって、自分で試して知ってるから。

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不謹慎かもしれないけど、それがその人の人生なのかもしれない。

死ぬほど苦しい気持ちがわかるから。

 

 

他人に迷惑かけたっていいじゃない。「ごめんね。」って謝ればいい。

 

 

死ぬより辛いことがあるんだね。私には想像がつかない。今は「死にたい」って思わなくなったから。

そして、残された周りの人の悲しみをよく知っているから。

 

引き留めない。

でも、もう一度よく考えてね。

って、声をかけたい。

 

頑張れ!とか言わない。

 

ほんとにそれでいいの?もう一度よく考えてね。

自分では、答え出せなければ誰かに話してみて。私は話聞くよ。

なにか方法が見つかるかもしれないよ。

死ぬのはそれからでも遅くないよ。

 

私が無事に55年も生きることができたのに、32年の生涯に幕を下ろす人がいる。

 

ありきたりな言葉しか思いつかないけど私が無事に55回目の誕生日をむかえられたことには「感謝」しかない。

 

彼のご冥福をお祈り申し上げます。

 

そして「HAPPY  BIRTHDAY TO ME!」

 

 

合掌

 

 

 

 

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