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残された家族のSOS

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葬儀に携わる仕事をしていると、触れたくなくてもどうしてもその家族の家庭環境や経済状況にまで立ち入らなければならないことがあります。本当は黙っていたいだろうと思うことだったり、知られたくない事情までお聞きしなければならないこともたくさんありますが、それを安心して話せるような信頼関係を築くところから取り組まねばなりません。お寺とご家族との関係とは違い、事前にご相談いただいていれば、ある程度そのご家族の状況がわかる場合もあるのですが、「亡くなりました。病院へ迎えに来てください。」とご依頼を受けた場合、電話をされた方に故人様とのご関係はお聞きしますが、背景はわからないまま、お迎えに伺う場合が、ほとんどです。

 

先日、こんな事例がありました。

こんなことが実際に起きている事実と、社会の大きな問題の一つとして考えていかなければならないと思い書かせていただきます。

 

おじいいちゃん(健康で88歳)おばあちゃん(認知はあるが、普段の生活に支障はない82歳)の二人暮らし。老老介護

 

おじいいちゃんは、いつものように夜一人でお風呂に入りました。

おばあちゃんは、いつものように居間でテレビを見て、眠くなったので寝室へ行き寝ました。

日常の風景でした。

朝になり、おばあちゃんはおじいちゃんが、まだお風呂から上がってこないことに気づきお風呂へ見に行きました。

「じいちゃん。ゆっくりお風呂にはいっとるね~。気持ちよさそうやね~。」と思ったそうです。

おじいちゃんは、ヒートショック現象、さらに溺死していました。

あまりに長くお風呂に入っているので、おばあちゃんはおじいちゃんに声をかけました。

「なんかおかしい?重くて引き上げられない。」

近くに住む、息子へ電話をかけ、その後警察の検案となりました。死後2日経過していました。

 

おばああちゃんのことは、認知症で家族も心配していましたが家事もある程度こなせるので、高齢とはいえおじいちゃんがいてくれることで、家族はあまり心配していませんでした。多分担当のケアマネージャーさんや関わりのある医療機関も、おばあちゃんのことは心配しても、元気なおじいちゃんがまさかそんなことになるとは思っていなかったのだろうと思います。

 

誰も悪くありません。

 

死は突然、年齢や病気の有無を問わずやってくるのです。

 

霊柩車におばあちゃんと一緒に乗りました。

 

葬儀の時は涙を流していたおばあちゃんが、私にずっと話しかけてきました。

「じいちゃんと私はとても仲がよかと、近所の人から『どこに行くのも一緒で仲がよかね~』って言われるとよ。じいちゃんはほんとに優しかと!明日もね、買い物に一緒に行くとよ。私の自慢ばい。私はみんなに可愛がられて本当に幸せばい。感謝やね~。」と、おじいちゃんが亡くなったことはすっかり忘れ去られていました。私は心からこのおばあちゃんの幸せを願わずにはおれませんでした。

 

 

 

入電は訪問看護の看護師さんからでした。

 

ご自宅で亡くなったお母さま(87歳)のもとで、どうしてよいのかわからず訪問看護の看護師さんに助けを求めた50歳男性。

この男性はお母さまの看護を自宅でしていて、無職。お母さまの年金で暮らしていました。これこそ8050問題です。

まだ、救急車ではなく、訪問看護の看護師さんに連絡しただけ警察のお世話にならずに済み不幸中の幸いでした。

 

葬儀は自宅で慎ましく「直葬」でお願いします。とのことでしたが、自宅は足の踏み場もないような状態で、いくら直葬とはいえ、棺の置き場所も確保できなかったために、斎場をご案内しました。こんな場合ほとんどのご家族が、「斎場で葬儀をすると高くなる。」と思っていることが多いです。他社のことはよくわかりませんが自宅で葬儀をすると、必要な道具を運んだりする為に、何度も移動したりする手間がかかるので、なんでも揃う斎場で行っていただいた方が葬儀社にとっては助かります。弊社では「ホール使用料」はいただかず、「自宅への出張料」をいただいているくらいです。

 

近親者は長男であるその男性おひとりで、親戚は全くおられないとのことでした。葬儀費用のご負担もですが、お寺様をどうしても呼びたいとおっしゃるので「お布施」のご用意は大丈夫か?お尋ねしなければなりませんでした。

家族が亡くなった時、最大限にできることをしてあげたい気持ちは十分わかるのですが、この時私の心によぎるのは、

 

「この方、お布施や葬儀費用を支払った後、どうやって暮らすつもりだろうか?」

 

そのことです。

 

もちろん私も生活がかかっているので、どんなに優しい気持ちを出したとしても、葬儀費用をタダにはできません。

お手伝いしてくださる方や、仕入先への支払い、電気代、家賃もろもろ払わなければならないのです。

 

「お気持ちはよくわかります。お母さまの最期にして差し上げたいですね。

しかし・・・・残念ながら亡くなった方は、もうご飯を召し上がりたくても召し上がることはできないのですよ。

あなたはこれから、まだまだずっと、食べていかなければならないのですよ。できる範囲のことでいいじゃないですか?大丈夫です。私と一緒に心込めてお弔いいたしましょう。」

 

長男さんは、食べる元気もなくずっと一点を見つめており、私が自宅から持ってきたお弁当も口をつけませんでした。話を聞けばお母さまが食べられなくなってから10日くらいの間、ほぼ何も食べていないということでした。

 

葬儀は終わっても、この方をひとり、あの足の踏み場もない自宅へ帰すことが、そのまま「孤独死」につながるように感じたので、訪問看護の看護師さんに連絡をし、民生委員の方へ連絡をしていただきました。

 

先日、NHKの番組で素晴らしい葬儀の取り組みをなさっている和尚様が取り上げられていました。

私はどうしても違和感を感じずにはおれませんでした。その和尚様を批判するわけではありません。

確かに、故人を想い素晴らしい葬儀を作り上げることはなかなかできることではありません。

しかし、その葬儀にはどのくらいのお金がかかったのでしょうか?

お寺自身も存亡をかけて、改革をしていかなければならないけれど、そもそもお寺は、葬儀や法要のためだけに存在するのでしょうか?宗教は、人間の心のよりどころであるはずです。

故人を偲びたい気持ちは誰にだってあるのです。なにも好きで直葬をしたり、雑なことをしたいと思っているご家族はいません。

(たまに、います・・・・でも多分心のどこかでは悪いと思っていらっしゃいます。)

 

弊社のような、比較的小規模で、手ごろな金額の葬儀がいいということではありません。

 

故人に対する気持ち、そして残されたご家族の気持ちを大切にしたい。

無理をせず、できる範囲で精いっぱい送り出す気持ちそれが一番大切だと思うのです。

 

 

残されたご家族が、近しい方を亡くした悲しみから一日も早く立ち直り

幸せに暮らしていくことを願います。

 

合掌

 

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