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代表ブログ

樹木希林さんの「生き方」に思う 

小学3年生の頃だったと記憶しています。

大分県湯布院町(現由布市)に住んでいた私の水曜日の夜のお楽しみは、なんといってもテレビ番組の「寺内貫太郎一家」を見ることでした。私が住んでいた大分県には、民放が2局しかなかったので、

もしかすると本来の放送時間は水曜日ではなかったかもしれません。

飼っていた愛犬「チコ」が水曜日の朝死んでしまい、父と一緒に山の中に埋めに行って、悲しくて悲しくて一週間のなかでも一番楽しみにしていた「寺内貫太郎一家」を見ずに布団に入ったことを日記に書いた、その一文が「一番好きな水曜日が大嫌いになった。」でした。

 

そのくらい一世を風靡していました。

 

オープニングのテーマ題が画面に出ると「てらうちかんたろういっか」っか」と、樹木希林さんの声が

ワンテンポ遅れて発せられるの、ただそれだけなのに、小学生は爆笑でしたよね?

その時の樹木希林さんは、すっかりおばあちゃんでまさか30代だったとは、夢にも思わなかったです。本当に素晴らしい女優さんだったんだと再確認しました。

 

樹木希林さんの「死に方」や「死にゆく心構え」や「死に対峙する生き方」について、テレビで随分報道されていますし、私が語ることもないと思うので経緯は省略させていただきます。

 

私がこのことをブログに書き綴ろうと思ったのは、

「難の多い人生はありがたい」

とご本人がおっしゃていたと聞いたことからでした。

 

このブログの表題も、最初

樹木希林さんの「死に方」に思うでした。

 

思いを巡らせているうちに「死に方」ではなく「生き方」だな!と、思いました。

 

私は統計や数字があまり得意ではないので、難しいことはよくわからないのですが、2人にひとりは「ガン」になると言われます。

治療の方法や費用も様々で「抗がん剤」がいいだの悪いだのの論議や、どんな治療が有効だとかいうことは良くわかりません。

しかし、「ガン」と告知された時に果たしてどのくらい冷静に受け止められるか?余命を宣言された時にどんな行動をするだろうか?全く予想できません。

 

今では、「ガン」=「死」すなわち不治の病ではないと思いますが、「ガン」=「死」ではなくても、人間はみな生まれた時から少しずつ「死」に向かって生きている。そのことを忘れている、考えないようにしている気がします。

樹木希林さんは、そのことをしっかりと見据えて「生きた」んだなと思います。

「死」は恐怖です。それは今まで経験したことがない未知の世界だからでしょう。自分が今死ぬような立場に置かれたら「狂ったように泣き叫ぶ」それは当たり前のことなのではないでしょうか?もし「死の宣告」を受けたなら「泣きわめいても」恥ずかしいことではないと考えます。

 

日本人には独特な「美意識」があり、その中に「死への潔さ」みたいな感覚もあると思います。

でも、「美しく死ぬ」のは、そうそうできることではないと思うのです。それを考えると太平洋戦争時「神風特攻隊」、ひとりひとりの思いは語りつくせません。

 

樹木希林さんには心の支えになる宗教があったと伺いました。

 

弊社の葬儀は「無宗教葬」なるものが約7割を占めています。

これはご家族のご意向の場合と、故人の遺志の場合があります。

無宗教葬とはいいながら、だいたいのご家族が「せめてお経、お花、お線香くらい」と用意されます。

そこには「神様なんか信じない」のではなく「本当は信じたい」のではないかと思うのです。

人間ってややこしいですね。

もっとシンプルに考え、シンプルに生きれたらいいのに・・・・

樹木希林さんは「シンプルに生きた」方に見えます。

でも「見える」だけで心の中の葛藤は誰にもわかりません。

「難の多い人生はありがたい」とおっしゃる言葉の裏には、たくさんの葛藤。ご主人への思い、ご家族への思い、仕事への思いがあったのだろう、本当は決してシンプルではないけれどシンプルに装うことで、自分を支えていたのではなかろうか?と推測するのです。

 

人はどんなに孤独でもひとりでは生きていけないし、何かを支えに「生きている」のだと思います。

 

泣いたり、笑ったり、怒ったり

「生きているからこそできること」それを謳歌して生きていきたいなあ。

 

私は、何度も「自死」をしようと試みた体験をしています。

 

でもその時、心のなかにあったのは「生きたい」気持ちだったのではないか?

「生きたい気持ち」をわかってほしい。その表現方法が「自死」だったのではないかと、元気な今は思います。

 

さまざまな方の「生き方」「死に方」を目にして

生きていることへの有難さや、まわりの全ての事象に感謝せずにはおれないのです。

 

お彼岸は「この世」と「あの世」をつなぐ道がひとつになる。といわれます。

彼岸花は誰にも教えられずとも彼岸には花を咲かせます。それも命あってのこと「生きている証拠」

 

なんだか変な宗教家のようなブログになってしまいましたが、

昭和を生き、平成が終わろうとしているこの時代に出会った皆様方とのご縁に感謝。

 

そして、同じ時代を生きた素晴らしい女優さんの「いきざま」に感動を覚えたこの頃でした。

 

「ひ・で・き~~~~」

じゃなくて

「ジュリー~~~~」

 

合掌

 

 

 

 

 

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