代表ブログ
一人称の死、二人称の死と他人事
以前ブログにもご紹介した、当社をお手伝いしてくださる方のお母様がご逝去されました。当たり前ですが「心を込めてお送り」いたしました。みなさんにもシェアしたいと思います。
以前にブログにも書いたとおり「余命1カ月」の宣告は、亡くなられたお母様を除き、長男、長女、次女さまがお聴きになられました。その時心境を推し量ることは、他人である私にはできませんが、「父の時より辛いです。男にとって母の存在はやはり・・・」と女性である私には知ることのできない気持ちが、こわばった表情から少し理解できたかと思いました。
大きな総合病院から「緩和ケア・終末医療」の病院に移ることをお母様が大変嫌がったとお聞きしました。それはお母様が病院の名前から、ご自分の状態を認識したからでした。「その病院に移ったら、うちに帰れるよ。」とウソとも誠とも取れる言葉で転院されたそうです。
余命宣告は1か月でしたが40日ほどがんばることができました。
ちょうど4月30日にお亡くなり方の葬儀をお手伝いしてくださった長男さんは、私が終活カウンセラーとして情報提供していたので「この故人様は5月1日までがんばることができればよかったのに・・・うちの母は5月を越してせめて6月1日まで持ってほしい。」と、やるせない表情でつぶやきました。
本当にそうです。なんのことを言っているのかピンときた方もおられるでしょうが「年金受給」に関してです。4月30日PM11:59までに亡くなれば、年金は4月分まで。5月1日AM00:01に亡くなったら年金は5月分。日割り計算はされません。なんかセコイ話のようですが、とても大切なことだと私は考えています。
こんなに終活や生前整理が叫ばれるようになってもなお、「死」は他人ごと。やはり自分の事としてとらえることはなかなか難しく、余命宣告を受けた家族がいたとしても、逝くのは自分が先かもしれません。
どんなに準備を万全にしたとしても、やはり「死」は突然のことなのです。それを納得し受け入れるのは容易なことではありません。そこで、少しでも「慌てない。」「不安に思わなくて済む」にはどうすればいいか?
残念ですが「お金」です。
お金の不安を抱きながら葬儀に突入していくのは、それはそれは不安です。最近、葬儀社を紹介するポータルサイトがネット検索にたくさん出てきます。金額だけを見て「これは安い!」と飛びつかないように、じっくり検討してほしいのですが、慌ててしまうのです。これについては、また別にブログにします。
たかが年金1か月分だと思うかもしれませんが、例えば国民年金(今の状況で)1か月分約7万円あれば、お通夜の食事や飲み物代は十分賄えると思います。タクシー代やお菓子、飲み物、瞬く間に数万円の出費になっていきます。葬儀はとかく
葬儀費用+お布施+食事+お墓関連
だと考えられていますが、外に出てこない出費が付随して出てくることをお忘れなく。
葬儀中には、交通費、喪服クリーニング代、飲み物、お弁当、お布施の袋 ETC・・・
49日には、交通費、参列者への連絡、喪服クリーニング、お礼の品物・・・考えたらまだまだあると思います。
お墓、納骨堂、散骨・・・何を選んでも「お供えの果物、お菓子、供花」新しいお位牌、仏壇がなければ仏壇、座布団・・・
こんなこと言いたくないのですが「お金」の話はずっとついて回ります。
一人称の死の場合「自分の死」なので、後のことはわかりません。託すご家族がおられる方はご自分で準備ができれば、家族は助かるでしょう。1か月分年金があれば自助努力?でしょうか?
二人称の死の場合「家族、近しい人」これまた、立場が違いますし考えが変わります。
他人の死、私たち葬儀社や、死を看取る医療従事者、介護関連などはこれに当たると思いますが、これもまた違いますが、この他人の死を見ている私たちが「家族の死」を迎えるときの気持ち・・・・
これについてまた詳しく書こうと思います。
長くなるので、一旦ここまで、次編をお待ちください。