代表ブログ
家族の絆
これは私の母84歳。最近ひざ関節の人工関節手術をして、自宅でゆっくりしています。
その、「壮行会」を、好物の甘いものでした時の写真です。
こちらは、我が家の保護犬「チャーリー」君をだっこしてパチリ!
我が家は、現在母とチャーリーと私の三人家族。そして時々私の息子が帰ってきます。
みなさん、お盆はいかがお過ごしでしたか?
それぞれご実家に帰省されて、ご家族やご親戚とご先祖様をお迎えになったでしょうか?
我が家は、私に弟がおり、そちらが本家?になるので自宅の小さなお仏壇にお盆の飾りやお供えをして、対馬式のやり方で過ごしました。長崎市に住んでいますが、長崎市出身ではないので、大きな「精霊船」「爆竹」「花火」は馴染みもなく、やり方もわからないので・・・・。
対馬式というか、我が家流は12日夜に迎え火、これも「こえ松」という特殊な?松を使うそうなのですが、ないのでロウソクに火をつけました。そして13日早朝には「おてつき団子」という平べったい団子を供えます。私は「お手付き団子」だと思っていたのですが「おてつき」とは対馬の言葉で「おちつく」という方言なんだそうです。急いで帰ってきたご先祖様に「まあ、おちついてお召し上がりください。」という意味なのだそうです。次の日は、「そうめん」と「ふかし芋」とメニューがだいたい決まっていて、我が家流のおもてなしなのです。
家族で過ごすお盆の間、私はちょっと体調が悪く、治っていたと思っていた風邪がぶり返し、今また38.5度熱が出てなんだか、しまらないだらだらした日々を過ごしました。
そんな中
なんか家族って難しいなあ。
と思うことがありました。
って、何があったってわけではなく、近すぎるからわからないことや、理解できるだろ当たり前に!!!って思いがちな家族への甘えみたいなものがあって、逆にわかり辛くなることってあるよね?ってことです。
友達が結婚することになり「ハッピー、ハッピー!」って思っていたのですが、やはり他人同士が一つの家族をこれから作っていくのだから「価値観」や「考え方」が違うのは当然で。どちらがいいとか悪いとかって決められない。判断できないことですよね?文字にするのは簡単だけど、実際はなかなか難しいことです。
いくら家族や仲のいい夫婦であっても「言葉にする。」「感謝の言葉を照れずに言う。」当たり前のことだけど大切なことだなあ。と、思いました。そして、自分の主張だけをするのではなく「お互いが歩み寄る」大切だなあ。
先日お世話させていただいた家族に、素敵なご夫婦がおられました。
その方は、長年入院しておられる奥様をずっと一人でご主人が支えてこられました。ご主人は自治会の活動なども積極的になさり看病もされ、自分一人で生活もされ、奥様をとても大切にされていました。
都会での暮らしが長かった奥様は、長崎での暮らしになかなか馴染めず、友達も少なく精神的に追い込まれていたようでした。とても美しい「死に顔」からは想像できないほど寂しい日々を過ごしておられたとお聞きしました。
無理に長崎に連れてきてしまったことをきっとご主人は、後悔なさっておられたのでしょう。
祭壇のきれいなお花と、奥様をじっと見つめる姿が、なんとも物悲しく、私も辛かったです。
でも、ご主人はご主人なりに一生懸命奥様を愛されていたと思います。その証拠に「一番美人に写っているこの写真を使って、遺影写真を作ってください。」と持ってこられたお写真が、おっしゃるとおり「女優さんか?」と見惚れるほどの写真でした。お見せできないのが残念です。
先日、書いたブログの続編がそのままになっていますが、「死ぬ」ことは、なかなか自分や自分の家族のこととしてうけいれられないのが人間だと思います。他人事だと、こうやっていろいろ思ったりするのです。
ご主人の、革靴。
多分、ずっと履いてなかった。もしくは革が劣化していることに気が付いていなかった。
きっと、奥様がおられたら買い換えておられただろうと思います。
ひとりで、がんばっておられたんだと思いました。
家族、遠くて近い存在。夫婦は他人同士だけれど不思議な縁で結ばれて一つの家族を作っていく。
それがずっと続いて、おじいちゃんがいて、おばあちゃんがいて、おとうさんがいて、おかあさんがいて・・・・
DNAがつながっていくんだなあ・・・・
私は、家族葬や直葬をたくさん見てきているけど、どんな形でも家族なんだなあ。
人は、いまのところ、おとうさんとおかあさんがいないと生まれてこないから、どんな人でもどんな状況でも絶対におとうさんとおかあさんがいるんだよね。
そんなことをかんがえたのでした。